哲学的思考で生きる

哲学とは、人生・世界、事物の根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする学問。

また、経験からつくりあげた人生観。

世にあたり前のことより不思議なことはない

上の写真は、哲学者・文筆家の池田晶子さん。

お綺麗な方ですよね〜JJの読者モデルをされていたこともあるそうです。

残念ながら、46歳という若さでお亡くなりになられています。

いつも聴いているポッドキャストで、この池田晶子さんのエッセイの一部を紹介していました。

聴いたとたん、この言葉の表現の素晴らしさに感動し、ゾクっと来ました😍

世に当たり前のことより不思議なことはない。

自分であるとか、物があるとか、この宇宙に自分が生き、死ぬこととか。

実際これは考えるほどにとんでもない不思議なものである。

我々この世の誰一人として、これがどういうことなのか知らずに生きているのである。

このことに気付いた人ならば、生きているとはどういうことなのか知ろうとして、必ず考え始めるはずなのだから。

生きられるかどうかがどうして問題になりうるだろう。

いや、この不思議を知るからこそ日常のいちいち、人生の日々が奇跡的なものとして輝きを放つことができるのだ。

朗読した人・マット竹内さんの力もあったのかもしれません。

ステキな声で、心に響く話し方をされる方です。

彼は、このエッセイの感想を以下のように述べられています。

日々の忙しさにかまけて一番大切な不思議なことを忘れてしまっているのではないですか、と問いかけているように聞こえます。

この宇宙に自分が生まれて、そしてやがて別れを告げる、この根本的な問いを脇に置いて生きていくというのは、いかにも勿体ないことだと池田さんは仰っています。

生きる、そして死んでいく、この問題を真正面から見据えて自分の力で考えようとする

ここに人生の日々が輝きを放つ・・・重いメッセージといえば重いメッセージ。

でも、今日から明日、今年から来年、日々の人生をどのように生きるのか、その中に池田さんが仰るようなこの不思議な問題を考えながらの日々にしていきたいと思います。

今、生を受けていることの喜び、命の重さ、考えて生きていきましょう。

マット竹内さんのコメントも分かりやすくて素晴らしい!

2019年末のポッドキャストだったので、今年から来年というフレーズがあります。

人間は考える葦である

パスカルの有名な言葉「人間は考える葦である」

デジタル大辞泉による解説は以下の通りです。

「人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である。」

人間の、自然の中における存在としてのか弱さと、思考する存在としての偉大さを言い表したもの。

パスカルも同じようなことを言っていますよね。

人間が自然の中でもっとも弱い存在であるということを、葦にたとえています。

人間が宇宙よりも尊い存在であるということを、考えることができるからだと言っています。

地球上の動物の中で人間だけが持っている〝考える〟力。

もっとこの力を使わないと、本当に勿体ないと思います。

恥ずかしながら、私は50歳を過ぎるまで哲学的思考力というのを殆ど持ち合わせていなかったように思います。

ところが、一旦目覚めるとやめられない止まらない♪

周囲の人、出来事、色々なことをよく観察すると、この世は不思議だらけ。

なぜ今まで疑問に思わなかったんだろうという疑問。

私の濫読グセが始まったのは、この頃からです。

5冊くらい同時進行で読むこともあったりします。

芋づる式に色々なジャンルの本へと広がっていきました。

そしてある日ふと「私は今まで本当には生きていなかった」と感じました。

人間として肉体は生きていましたが、魂は忘れられた存在。

何だかスピリチュアル的になってきましたね〜(笑)

人間の一番の使命は〝学び〟

読書によって知識が増え、知識が知恵に変わると自分自身で考える力が生まれ、自分の意見がはっきりしてきます。

池田晶子さんの言う〝生きているとはどういうことなのか〟

このことを常に考えながら生きることが、今流行のマインドフルネスではないかなと思います。

皆さんは、どう思われるでしょうか。